亀田選手にデビュー当時の尾崎豊を感じる
むちゃくちゃなファンだったわけではないが
中学3年のときにラジオから尾崎豊の『十五の夜』を聞いたときには
その歌詞に心を奪われたものだ。
まだデビュー直後で近所のレコード店がプロモーションで
ライブビデオの上映会をしていて食い入るように見たものだ。
『街の風景』が2倍のテンポでゆっくりと歌われ
レコードとは歌詞が全然違って驚いた。
「落書きの教科書と外ばかりみてる俺
超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる」
そのときの中学が3階建てで、それより高いのは山しかなかったが
テレビの風景からなんとなく想像できた。
「盗んだバイクで走り出す
行く先もわからぬまま
暗い夜の帳の中へ
覚えたてのタバコをふかし
・・・・」
あんな歌詞は聴いたことがなかった。
その頃聞いていた曲には
そのような歌詞はなかった。
尾崎豊のことについて音楽雑誌では認めるか認めないかの記事がよくあった。
あれはロックなのか、違うのか。
私はただ単に歌詞というか歌に感動していたが
音楽評論家といわれる人はいろいろ文句をつけていた。
ある女性ライターは「あの美声にしびれる」と書いていたが
曲はたいしたことない、とも書いていた。
素直に好きだと言えばいいのにって思った。
あとは「メロディーを作るのが上手い」とかいう人もいた。
歌詞はだめなのか?って思った。
一番印象に残っていたのはラジオでのサザンの桑田さんの発言だ。
「オレは、あれがロックだっていうんなら怒るよ。
歌としてはいいかもしれないけどロックじゃないよ。」
何をむきになっているんだろう?って感じだった。
ロックかどうかなんかたいした問題ではない気がするが
彼らにとっては非常に重要だったみたいだ。
まるで今回の亀田選手の勝利みたいなものだ。
「彼はよくがんばったが、試合では負けていた」とか
「あの判定はおかしいだろう」とか。
どうでもいいようなことにやけにむきになる。
人にそういう気持ちを起こさせるのだろう。
私は彼は天才だと思っています。
尾崎豊も非常に優れた才能を持っていたと思います。
どちらもいまある秩序を乱すものだ。
天才の出現とは地殻変動のようなものだ。
ガラガラと大きな音をたてて世界が変わる。
誰の言葉でしたっけ、
天才の作品はまず嫌悪感をもって迎えられる
と言ったのは?
そう、亀田選手の勝利は多くの人に嫌悪された。
彼自身は好きだけどファンだけどって言う人にさえ嫌悪された。
どうでもいいような歌手が毎年毎年レコードデビューして
ロックとは、って語っていても誰も何も言わないのに
尾崎豊がデビューしたとき人々は嫌悪した、
あんなのはロックじゃない、って。
確かに西城秀樹っぽい歌いかただし(ヒデキは好きです)
いろんな人の影響をわかりやすくうけた曲もあるけど
あの才能はずば抜けていたと思う。
一番おかしいのが「口のきき方が悪い」だ。
このセリフを新聞やなんかで読むたびに
若者に悪影響を及ぼすみたいなのがあって非常になつかしい。
尾崎豊の曲を聞いた若者がはたしてバイクを盗んだろうか?
夜の校舎の窓ガラスを壊して歩いたろうか?
そんなレトリックの部分、枝葉末節の部分にこだわって
本質を見つめるのが怖いだけなんだ。
明らかに彼は天才で
ずば抜けた才能を示している。
しかしまだ若く、その才能は原石のままだ。
我々はその才能の原石を一目で見破り
多くの人が嫌悪感を示している。
これから磨かれていく才能を私は非常に楽しみにしている。
ボクシングのことはよくわからないが
天才というものは誰が見てもはっきりしているのだろう。
視聴率は40%を越えたそうだから。
文句が付けたくなる、っていうのは
天才の証だと思う。