塾というのはロックだと思っていたけど
「ロックやパンクというのはバンドの構成でも音楽の種類でもなかった。既成の枠組みから外れるという一点で支持されたのではなかったのか?
塾というのは学校とは違ったものとしてあったにもかかわらず、いつの間にか塾とはこうあるべきだ、という考え方に支配されてしまった。
塾というのはロックだと思っていたけど、ほとんどの塾はいつも同じレパートリーしか演奏しないコピーバンドみたいになってしまった。
個人塾というのは小さなライブハウスと同じだ。毎晩コンサートをやっている。ワンドリンクも付かないのにみんなよく勉強している。
高校生のときはバンドをやってコンサートのたびに学校の先生に怒られるとかっていうのが風物詩だった。
勉強もせずに将来どうするんだ?って説教されて。
人にバカにされても演奏を続けよう。
人に呆れられても演奏を続けよう。
そもそも塾をやりたいから塾をやっているとは思っていない。塾というのは自己表現の手段だ。
塾のための塾と考えたら沈みゆく巨船のなかのバンドのようになってしまう。
表現する手段を持たないものは不幸だ。
しかし表現すべきものを持っていないというのは論外だ。」
今日も過去のフェイスブックシリーズ。
塾というのはこうあるべきだ、なんて何の意味があるだろう?
人生というのは自己表現じゃないのか?
算数オリンピックに挑戦するというのは自己表現以外の何ものでもない。
そんな小さな子にそんな難しいことやらせて何になるんだ?と人に呆れられよう。
子供というのはもっとのびのびと遊ばせた方がいいんじゃないですか?と人に要らぬ説教をされよう。
楽しいからやっているのに、算数がまるで苦行のように言われるのが理解できない。
楽しいからやっているし、生きるために表現している。
ただそういうことだ。