石のスープ(ストーン・スープ)
寒くなりました。
お鍋がおいしい季節になりました。
めがねを曇らせながら
お鍋をつつく幸せ、
ありがたいです。
ところで、『石のスープ(Stone Soup)』というお話をご存知でしょうか?
私が以前に読んだのはマーシャ・ブラウンが書いた本でした。
あの『三びきのやぎの がらがらどん』のマーシャ・ブラウンです。
子供向けの本でした。
英語だったか日本語だったか・・・。
お話はこうです。
3人の疲れた兵士が、ある村にたどり着く。
村人たちはケチなので食べ物を隠す。
兵士たちは村人に食べ物を分けてくれないかと頼むが誰も与えるものはない。
「それでは、仕方がない」と言い、3人は、鍋を借り石と水をいれてグラグラと煮立てる。
「石のスープ」を作るという兵士に興味をもった村人が鍋のまわりに集まってくる。
「ああ、塩とコショウがあればなあ・・・」と兵士がつぶやくと、
打ち解けてきたある村人が、それらを持ってくる。
「にんじんがあれば・・・」「ジャガイモがあれば・・・」と言うと、
次々と鍋の中身が充実してくる。
最後にはミルクと肉が加わり、村人と一緒に分け合い、大いに盛り上がり、
「こんなおいしいスープが石から出来るなんて信じられない!」と村人は大喜びする。
夜更けまで飲んで踊っての楽しい一夜になる。
私が図書館で借りてきたのは
Troll Associatesというところから
出版されている英語の絵本です。
どちらも同じような内容です。
この話を読み返してみて
以前には気付かなかったことがひつあります。
それは、塾とは「石のスープ」だということです。
「はあ?違うでしょう!」とおっしゃる方も
多いと思います。「あん、どこが?」とか。
私がいつも思うのは勉強を教えてはいるんですが
結局、勉強をするのは生徒自身なので
我々は兵士のように「もうちょっと関係代名詞を勉強したらなあ・・・」
と言ってるだけなんですよね。
「おしいな、もうちょっと古文ができたらなあ・・・」とかです。
その教えている勉強というものも
自分で発見し考えたことでもないのに
偉そうに「速さ×時間は道のりだろっ!!!!!」
って言う部分が多い仕事です。
全く、こちらは石と鍋だけ用意して
残りはみな生徒のがんばりです。
「なんてことだ!
成績がこんなに上がるなんて!」
「先生、おかげさまで
数学の点数だいぶん上がりました」
志望校に合格すればもう大騒ぎ・・・。
お母さん、
すべてお宅の息子さん・娘さんが
努力された結果なんですよ!
よく言われることですが
教育とは「本来の能力を引き出す」ことだ
ってことをこの本は教えてくれます。
「指揮者は演奏してないのにどうして偉いの?」
って質問した子がいました。
指揮者自身は確かに音を出していませんが
彼の頭の中にある音楽を表現しようと
オーケストラに指示を出します。
言ってみれば「オーケストラという楽器」を演奏しているんです。
ものを教えるという仕事に携わるものは
生徒に知識を与えるというよりも
生徒が努力できるような環境を与える
ということではないでしょうか。
励ましたり叱ったり注意したりほめたり。
先生は試験を受けないけれど
生徒が身につけたことを試験で発揮する。
先生は完全に裏方です。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと
「石のスープはポルトガルに伝わる民話。
そしてそのエピソードから、
協力を集めるための呼び水の比喩にも使われる。」
とあります。
その視点から、えほんうるふさんが
私よりも100倍わかり易く面白いものを書かれています。
こちらです。
一夜を柔らかなベッドで過ごした兵士たちは、
次の朝、村人たち全員に見送られ
村を後にすることになります。
「村のみなさん、ありがとう!」
「こちらこそありがとうございます。
あなた方はとても大切なことを教えてくださいました!」
兵士たちが手を振っています。
村人たちも手を振っています。
「まったく、石からおいしいスープが出来るなんて、
今まで聞いたことがあるか?」
と村人たちは互いにささやきあいます。
お鍋がおいしい季節になりました。
めがねを曇らせながら
お鍋をつつく幸せ、
ありがたいです。
ところで、『石のスープ(Stone Soup)』というお話をご存知でしょうか?
私が以前に読んだのはマーシャ・ブラウンが書いた本でした。
あの『三びきのやぎの がらがらどん』のマーシャ・ブラウンです。
子供向けの本でした。
英語だったか日本語だったか・・・。
お話はこうです。
3人の疲れた兵士が、ある村にたどり着く。
村人たちはケチなので食べ物を隠す。
兵士たちは村人に食べ物を分けてくれないかと頼むが誰も与えるものはない。
「それでは、仕方がない」と言い、3人は、鍋を借り石と水をいれてグラグラと煮立てる。
「石のスープ」を作るという兵士に興味をもった村人が鍋のまわりに集まってくる。
「ああ、塩とコショウがあればなあ・・・」と兵士がつぶやくと、
打ち解けてきたある村人が、それらを持ってくる。
「にんじんがあれば・・・」「ジャガイモがあれば・・・」と言うと、
次々と鍋の中身が充実してくる。
最後にはミルクと肉が加わり、村人と一緒に分け合い、大いに盛り上がり、
「こんなおいしいスープが石から出来るなんて信じられない!」と村人は大喜びする。
夜更けまで飲んで踊っての楽しい一夜になる。
私が図書館で借りてきたのは
Troll Associatesというところから
出版されている英語の絵本です。
どちらも同じような内容です。
この話を読み返してみて
以前には気付かなかったことがひつあります。
それは、塾とは「石のスープ」だということです。
「はあ?違うでしょう!」とおっしゃる方も
多いと思います。「あん、どこが?」とか。
私がいつも思うのは勉強を教えてはいるんですが
結局、勉強をするのは生徒自身なので
我々は兵士のように「もうちょっと関係代名詞を勉強したらなあ・・・」
と言ってるだけなんですよね。
「おしいな、もうちょっと古文ができたらなあ・・・」とかです。
その教えている勉強というものも
自分で発見し考えたことでもないのに
偉そうに「速さ×時間は道のりだろっ!!!!!」
って言う部分が多い仕事です。
全く、こちらは石と鍋だけ用意して
残りはみな生徒のがんばりです。
「なんてことだ!
成績がこんなに上がるなんて!」
「先生、おかげさまで
数学の点数だいぶん上がりました」
志望校に合格すればもう大騒ぎ・・・。
お母さん、
すべてお宅の息子さん・娘さんが
努力された結果なんですよ!
よく言われることですが
教育とは「本来の能力を引き出す」ことだ
ってことをこの本は教えてくれます。
「指揮者は演奏してないのにどうして偉いの?」
って質問した子がいました。
指揮者自身は確かに音を出していませんが
彼の頭の中にある音楽を表現しようと
オーケストラに指示を出します。
言ってみれば「オーケストラという楽器」を演奏しているんです。
ものを教えるという仕事に携わるものは
生徒に知識を与えるというよりも
生徒が努力できるような環境を与える
ということではないでしょうか。
励ましたり叱ったり注意したりほめたり。
先生は試験を受けないけれど
生徒が身につけたことを試験で発揮する。
先生は完全に裏方です。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと
「石のスープはポルトガルに伝わる民話。
そしてそのエピソードから、
協力を集めるための呼び水の比喩にも使われる。」
とあります。
その視点から、えほんうるふさんが
私よりも100倍わかり易く面白いものを書かれています。
こちらです。
一夜を柔らかなベッドで過ごした兵士たちは、
次の朝、村人たち全員に見送られ
村を後にすることになります。
「村のみなさん、ありがとう!」
「こちらこそありがとうございます。
あなた方はとても大切なことを教えてくださいました!」
兵士たちが手を振っています。
村人たちも手を振っています。
「まったく、石からおいしいスープが出来るなんて、
今まで聞いたことがあるか?」
と村人たちは互いにささやきあいます。