『子どもには魚を与えるな。魚の釣り方を教えよ!』
私の住むところはキムタク夫婦が
おしのびでやって来たほど有名な
バス釣りのスポットです。
といってもそんな行列ができるわけではなく
せいぜい一日10人くらいだから
「穴場」なんでしょうね。
魚釣りとは全く関係ない本から
自分が赤線を引いた部分を引用いたします。
平成3年の6月の初版になっている本です。
三好義光著『子どもには魚を与えるな。魚の釣り方を教えよ!』
(主婦と生活社)
~~~~~~~~~~~~引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私は、教育とは自立させること、だと信じている。
最終的には、親の手を離れるところまで、
子供を育てあげること、これこそが、
教育の本来の目的だと考えている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そりゃ、親元を離れて
独立して生きていけるようになって欲しい。
不況だからとか
社会が悪いからとか
そんなことを言わないような人間になって欲しい。
そう思います。
~~~~~~~~~~~~引用~~~~~~~~~~~~~~~
判断力の弱い子どもの後見人として、親が判断するべきことも多い。
しかし、それはあくまでも、子どもの”自立”のためでなければならない。
未熟な子どもにお金と時間をかけて教育するのは、
将来子どもが自分の人生を、自分の意思と力で
切り開いていけるよう、しむけるためである。
~~~~~~~~~~~中略~~~~~~~~~~~~~~~
いまの親は、
あまりにも子どもに魚を与えすぎているような
気がしてならない。
それも、のどに引っかけては大変と、
いちいち小骨を取ってやって、
あげくの果てにはいい年をした子どもに、
箸ではさんで口に運んで与える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
けっこう言葉が悪くて気に障る方もおられるでしょう。
けれどおっしゃってる事はもっともです。
子どもをコントロールしようという意思が
見え隠れするような文章ですが
それはそれで気にならない人には気にならない。
塾というものは
一体どっちなんでしょうかね?
塾は魚を与えているのか
魚の取り方を教えているのか。
「ここではむかし魚がよく釣れたから
常に注意しましょう。
ポイントだよ。」
とか
「今日は撒き餌のやり方を教えます。
この方法は重要ですから
皆さん、しっかりきいてください。」
「今日は君たちが問題を作りましょう。
そして後半はそれを違う人に解いてもらいますね。」
「これやって、これむっちゃええで。
これ昨日作った新作パズル。
むちゃくちゃ難しいって。
出来ても成績は上がらんけどね」
「さあ、ブログを使った学習を始めます。
いちばん速く1000アクセスに達した人が勝ちです。
自由にサイトを作ってください。
期限は今日からちょうど1週間です」
いろいろあるんでしょうが
塾も2通りになっていくんじゃないでしょうか。
「魚を与える塾」
と
「魚の釣り方を教える塾」
という2種類に。
どちらも需要があるでしょう。
自分はどっちへ行こうとしているのか
よく考えることがあります。
おしのびでやって来たほど有名な
バス釣りのスポットです。
といってもそんな行列ができるわけではなく
せいぜい一日10人くらいだから
「穴場」なんでしょうね。
魚釣りとは全く関係ない本から
自分が赤線を引いた部分を引用いたします。
平成3年の6月の初版になっている本です。
三好義光著『子どもには魚を与えるな。魚の釣り方を教えよ!』
(主婦と生活社)
~~~~~~~~~~~~引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私は、教育とは自立させること、だと信じている。
最終的には、親の手を離れるところまで、
子供を育てあげること、これこそが、
教育の本来の目的だと考えている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そりゃ、親元を離れて
独立して生きていけるようになって欲しい。
不況だからとか
社会が悪いからとか
そんなことを言わないような人間になって欲しい。
そう思います。
~~~~~~~~~~~~引用~~~~~~~~~~~~~~~
判断力の弱い子どもの後見人として、親が判断するべきことも多い。
しかし、それはあくまでも、子どもの”自立”のためでなければならない。
未熟な子どもにお金と時間をかけて教育するのは、
将来子どもが自分の人生を、自分の意思と力で
切り開いていけるよう、しむけるためである。
~~~~~~~~~~~中略~~~~~~~~~~~~~~~
いまの親は、
あまりにも子どもに魚を与えすぎているような
気がしてならない。
それも、のどに引っかけては大変と、
いちいち小骨を取ってやって、
あげくの果てにはいい年をした子どもに、
箸ではさんで口に運んで与える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
けっこう言葉が悪くて気に障る方もおられるでしょう。
けれどおっしゃってる事はもっともです。
子どもをコントロールしようという意思が
見え隠れするような文章ですが
それはそれで気にならない人には気にならない。
塾というものは
一体どっちなんでしょうかね?
塾は魚を与えているのか
魚の取り方を教えているのか。
「ここではむかし魚がよく釣れたから
常に注意しましょう。
ポイントだよ。」
とか
「今日は撒き餌のやり方を教えます。
この方法は重要ですから
皆さん、しっかりきいてください。」
「今日は君たちが問題を作りましょう。
そして後半はそれを違う人に解いてもらいますね。」
「これやって、これむっちゃええで。
これ昨日作った新作パズル。
むちゃくちゃ難しいって。
出来ても成績は上がらんけどね」
「さあ、ブログを使った学習を始めます。
いちばん速く1000アクセスに達した人が勝ちです。
自由にサイトを作ってください。
期限は今日からちょうど1週間です」
いろいろあるんでしょうが
塾も2通りになっていくんじゃないでしょうか。
「魚を与える塾」
と
「魚の釣り方を教える塾」
という2種類に。
どちらも需要があるでしょう。
自分はどっちへ行こうとしているのか
よく考えることがあります。