さわやかなブログ
私の好きなブログにSatoshi Nakajimaさんの
『Life is beautiful』
というのがあります。
皆さんは英語を話されることってあるんでしょうか?
斉藤孝さんの『からだを揺さぶる英語入門』という本にもあるんですが
英語を話すときと日本語を話すときでは
からだのポジションが違うと言うか
モードが違うんですよね。
斉藤さんの同書から引用させていただくと
>からだを揺り動かしながら英文を朗読することで、
「日本語の身体」から「英語の身体」への
モードチェンジを技としてみにつけよう
>ネイティブ・スピーカーを教師にするよさは、
発音のうまさだけでなく、そもそも彼らの持っている
「英語の身体」が教室の空気を英語の身体で染め上げるからである。
身体のモードと教室の雰囲気とは常に連動している。
それがどうしたってなると思うんですが
Satoshiさんはアメリカに住んで会社をやっておられ
常に英語を話されています。
そんな環境の方が
日本語でブログを書かれておられます。
ですからちょっと空気が違うんです。
重たい空気になったときなんかは
Satoshiさんのブログを読みます。
するとモードなのかテンションなのか
分からないものが変わり
ちょっと気分が軽くなる。
英語を話しているときと
日本語を話しているときでは
通常、人格が少し変わりますよね。
人格かどうか分かりませんが
英語を話すときはぶっきらぼうになるし
攻撃的になる。
結論をまず言う。
ところでSatoshiさんほどの方も
ブログを書くようになって
書いていないときの自分が変わったとおっしゃってます。
「書くように生きる」ことのススメです。
ぜひ読んでください。
『Life is beautiful』
というのがあります。
皆さんは英語を話されることってあるんでしょうか?
斉藤孝さんの『からだを揺さぶる英語入門』という本にもあるんですが
英語を話すときと日本語を話すときでは
からだのポジションが違うと言うか
モードが違うんですよね。
斉藤さんの同書から引用させていただくと
>からだを揺り動かしながら英文を朗読することで、
「日本語の身体」から「英語の身体」への
モードチェンジを技としてみにつけよう
>ネイティブ・スピーカーを教師にするよさは、
発音のうまさだけでなく、そもそも彼らの持っている
「英語の身体」が教室の空気を英語の身体で染め上げるからである。
身体のモードと教室の雰囲気とは常に連動している。
それがどうしたってなると思うんですが
Satoshiさんはアメリカに住んで会社をやっておられ
常に英語を話されています。
そんな環境の方が
日本語でブログを書かれておられます。
ですからちょっと空気が違うんです。
重たい空気になったときなんかは
Satoshiさんのブログを読みます。
するとモードなのかテンションなのか
分からないものが変わり
ちょっと気分が軽くなる。
英語を話しているときと
日本語を話しているときでは
通常、人格が少し変わりますよね。
人格かどうか分かりませんが
英語を話すときはぶっきらぼうになるし
攻撃的になる。
結論をまず言う。
ところでSatoshiさんほどの方も
ブログを書くようになって
書いていないときの自分が変わったとおっしゃってます。
「書くように生きる」ことのススメです。
ぜひ読んでください。