動く看板としてのブログ
もちろんホームページでもいいのですが
更新し続けることで何かしらのアピールというのはありますね。
ブログを書くことを
「そんなことやってても生徒数は増えないよ」
みたいな感じで思うかたはおられるとおもうけど
ブログは看板なんだって今朝思った。
けど何の看板かっていうとそれぞれだと思う。
塾をやっていて塾のことを書いているからって
ブログが塾の看板になるとは限らない。
ブログは更新されるたびに表情を変える「顔」かもしれない。
その表情の変化を人々は楽しむのかもしれない。
看板というよりは「顔」か?
更新される日記はモザイク画のひとつひとつのピースのよう。
私はあるときからブログによる生徒募集を考えなくなった。
ブログは言ってみれば全国区だけど
塾は地域限定だ。
半径5キロとか10キロの話にすぎない。
更新されないブログはどんなに素敵な文章でも
どこか「倒れた自転車」のような気がしてならない。
それを見たものは「持ち主はどこか?」と
あたりをキョロキョロとするように落ち着かない。
更新し続けることで何かしらのアピールというのはありますね。
ブログを書くことを
「そんなことやってても生徒数は増えないよ」
みたいな感じで思うかたはおられるとおもうけど
ブログは看板なんだって今朝思った。
けど何の看板かっていうとそれぞれだと思う。
塾をやっていて塾のことを書いているからって
ブログが塾の看板になるとは限らない。
ブログは更新されるたびに表情を変える「顔」かもしれない。
その表情の変化を人々は楽しむのかもしれない。
看板というよりは「顔」か?
更新される日記はモザイク画のひとつひとつのピースのよう。
私はあるときからブログによる生徒募集を考えなくなった。
ブログは言ってみれば全国区だけど
塾は地域限定だ。
半径5キロとか10キロの話にすぎない。
更新されないブログはどんなに素敵な文章でも
どこか「倒れた自転車」のような気がしてならない。
それを見たものは「持ち主はどこか?」と
あたりをキョロキョロとするように落ち着かない。