なぞなぞを解くように生きている気がする
今、メルマガで3回にわたって数字のなぞなぞについて書いています。
小学生向けですからそんなに難易度は高くありません。
けれど今まで2回とも問題の解説で
どうしても人生というものに言及してしまいます。
なんでだろう、って思ったのですが
人生はなぞなぞに似ているからかもしれません。
我々はみなオギャーと生まれてきて
親は赤ちゃんの顔を見て
「さあ、この子はいったいどんな子に育つやら」って思います。
子供は育つと「自分とは誰か?」という問いを繰り返します。
「生きるに値する存在なのか?」と。
そして成長して伴侶を求めます。
「さあ、誰が私と結婚するだろう?」かと。
そしてまた仕事を求めます。
「自分は何をするために生まれてきたのか?」
「自分に向いてる仕事はなんだろう?」
「このままこの仕事を続けていてよいのか?」とか。
もうずっと問い続けています。
そしてすべてに決まった答えはなくて
とんでもない答えが出たり
実はいじわる問題だったり
なぞなぞのように見た目と出題の意図がずれていたり。
世界が一冊の書物のようなら
私はなぞなぞを解くみたいに世界を眺めたい。
外に出ればヒントが転がっている。
出会う人、出会う人、みな私にヒントを与えてくれる。
私はなぞなぞを解くというのは生きることそのものだと思う。
出題者の意図はいつも隠されている。
それを見つけないといけない。