雑談2
将来のことはいくら考えてもわからない。
しかし考えてもわからないことを考えることは無駄ではない。
不思議だ。
考えてみると世の中には「やる」か「やらない」かの決断しかない。
私がやらなければ誰かがやる。
けれどそうだといっても不利益をこうむることはない。
しかしその方面での私の発展はなくなる。
やるという決断をすれば可能性は広がる。
そもそも私を選んでもらったことが信じられない。
私がゴリゴリの利益追求型ではなく
「パズル」なんてものを取り入れているから
「教育に対してまじめに取り組んでいる」と判断された。
人はいったいどんなところでどう判断するかってわからないものだ。
もちろん私はいつでも大まじめだ。
私が「やる」決断をすれば
「パズル」を使った学習を全国に還流させることができるかもしれない。
そんな話はないがやれない話ではない。
けれどそれしか方法がないわけでもない。
そこら辺が悩むところだ。