算数オリンピックのパイオニア 個別指導のりんご塾

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りんご塾通信

昔から嫌いなもの

近所のお寺で机を並べて

そろばん教室になぜか通っていた。

あのそろばんと言うものは好きになれずに

結局1年くらい通ったけど入門の本を終わらせただけだった。

他の子達はずっと先へ進んでいた。

計算して何がおもしろいのか理解できなかった。



たったひとつ覚えていることは

「探偵やスパイになるための本」を持っていったとき

そろばんの先生が

「おお、おもろそうな本、もってるやんか。

 どれどれ・・・。

 今日はそろばんやめじゃ~」

と言って陽だまりのなか

畳の上で「水につけても字の消えない筆記用具はなにか?」

みたいな問題をいっしょに考えたことだ。

探偵とか憧れた。

そろばんは嫌いだった。



今は別にそろばんはなんとも思わない。

近くのおばすて山の村に

暗算だけ教えてくれる寺子屋みたいなそろばん教室があるから

子供が気に入ったら行かせてみたい。

川に下りて魚を捕まえてるほうが好きかもしれない。

すごくきれいな川が流れている。

ニジマスもたくさんいる。

冷たくて澄んでいて夏の夜には蛍が舞う。




私は「遊びたい」とか「ヒマだ~」とかいう言葉が大嫌いだ。

昔から大嫌いだった。

「何してんの?」

「ヒマにしてんの。遊ばない?」

こういう会話がむちゃくちゃ嫌いだった。

「遊び」とか「勉強」とかいう区別が嫌だった。

自分のなかではこういった言葉はずっとなかった。



私がいつも考えていたことは「夢中になれること」だ。

「気持ちの切りかえ」とかいう言葉も嫌いだった。

「勉強が出来る子は気持ちの切り替えが上手い」

とか

「仕事が出来る人は気持ちの切り替えが上手い」

ってたまに聞いたけれど

意味がわからない。

多分私は切り替えとかできない。

やっぱり意味がわからない。

そんな便利な頭の構造になってない。



「勉強が出来る子は遊びと勉強の切り替えが上手い」

とか私には意味不明だ。

塾をやっていると、なんとなく一般に流通している言葉の意味がわかり

保護者が言う「遊び」と「勉強」という区別が出来るようになった。

だから私の塾でやっている迷路やパズルは「遊び」ではないというようにしている。

もしかしたらよそからみれば我々のやっていることはまったくの「遊び」に見える。

けれどやってる本人たちは極めてまじめに真剣にやっている。

だから人には「これは遊びじゃないですからね」という。

つまり我々にとっては「遊び」と「勉強」の区別はないんだけれど

もしかしてそういった区別のある人にしたら

我々のやっていることは「遊び」に見えるかもしれないけれど

多分、あなたの言葉の定義でいう「遊び」ではありませんから、

って言いたいけれど

たびたび言うのも疲れるし

嫌ならやらなければいいだけなので

もう面倒くさくて

「遊び」じゃなくて「勉強」ですって言う、ようにしている。



今日はマクドナルドに行ってきた。

やっぱ天才だね。

レイ・クロクは天才だ。

「ファーストフードが世界を・・・」とか

スーパーサイズミーとかあるらしいけど

なんか私にはよくわからない。


今日はお誕生会だったんです。

マクドナルドで。

たまたまかもしれないけど

今まで私が会ったマクドナルドの社員は

すべてマクドナルドに対する愛が感じられる。

おそらくFCで、こんな日本の地方のたかだか10万都市の

寒い冬の雨が降る中で

駐車場から走ってくる我々を暖かく迎え

帰りには見送ってくれる。



私と制作にかかわるAさんと講師と

解くよりも作るほうに熱中している中3生の男の子達、

それに挑む小学生達

我々みんなは自分達がやっていることに面白さを見出している。


小学生達は挨拶もなしに教室に入り、私の目を盗み歴史マンガを読み

私の漢字プリントをやってしりとりして「今何点?」と聞いて

計算問題やってまたドラえもん読んで

パズルやって、やってる途中に新作迷路の試験だいにさせられて

また計算プリントやってまた歴史まんが読んで

言いたいこと言って笑ったり怒られたりして

「ありがとうございました」と元気に言って帰る。



我々は人目を盗んででもパズルや迷路を楽しむ。

塾でやることが適当かどうかなど知りもしない。



一枚一枚の迷路なり、パズルは

「挑戦状」だ。

たいした挑戦状じゃないときもあるし

究極に難しいものもある。

そしてそれは伝説の問題になり

調子のいいときに「先生、あの問題出して~」

ということになる。




ブログばかりやって多分、言葉がすこし平均化してきた。

別に我々は一般の人々に理解されようと思って言葉を使ってきたわけではなかった。

我々は我々どうしが意思を疎通させるために言葉を使ってきた。

平均的な言語を使うことに、疲れることもあるが

もう自分の考えることしかやらない。

人の言動から自分を平均化していくことはやめようと思う。



こういうときはモーツァルトを聞こうと思う。

あの天才は完全に自分の世界で音楽を作っている。

モーツァルトをバカにする人にたくさん会ってきた。

あの無駄のなさって水みたいな日本酒のようだ。


私が学ぶべきはジョン・ケージの考え方ではなく

あらゆる夾雑物を排したモーツァルトの音楽だ。




書いている人

田邉 亨 塾長

滋賀県出身、ニューヨーク市立大学及びぺンシルバニア州立大学で学び、その後大手国際特許事務所、学習塾を経て、現在は彦根市でりんご塾を5教場運営している。2010年より、りんご塾として算数オリンピックに参戦、2014年に小3部門で金メダルと長尾賞を受賞。
2017年は小6部門と小3部門の2冠を達成し、現在は彦根市を中心に幼児から小学6年生までを集め算数とそろばんに特化した塾を展開中。長年、沢山の児童を指導してきた経験から、早い段階での算数の教育の重要性や、算数好きなお子様を育てる家庭のあり方・関わり方等についても全国で講演会を行っている。著書多数。

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