近代音楽史と学習塾その8
ああ、そうだ、そうだ、レコードがCDに替わるときに
「あたたかみ」がなくなるとよく言われたものだ。
けれどレコードだって生の演奏に比べたら
全然あたたかみなんかないじゃないかと思ったものだ。
「ノイズがなくなる」みたいなことも言われた。
あのパチパチいう音がいいとか
1回1回レコード盤に針を落とすのがある意味儀式なんだとか。
いま四半世紀経ってみるとそのときの議論が末梢的なことばかりだったことに気付く。
もっとも重要だったのは「デジタル」ってことだったんだ。
デジタルは複製が容易だってことだ。
今だったらCDのコピーなんてタダみたいなコストでできる。
だから今私は塾をやっていて
授業をデジタル化することに迷いがない。
自分が個別にした授業をタダみたいなコストで複製して
同時に何箇所でも見てもらうことが簡単にでき
好きなとき都合のよい時に見てもらうことができる。
「いや、やっぱり人から人に伝えるものなんだよ」っていう人は
レコードが普及してその後CDが普及して
音楽の演奏のライブの価値が変わったと思っているのだろうか?
人から人に伝えるものであることに変わりはない。
全くその価値を低くする要素なんてない。
デジタルというのはそのものに触れる機会を増やしてくれるんだ。
ライブの価値を下げるものでもないし
ましてやライブを否定するものでもない。
CDなんて持ってなくてダウンロードしてiPodで音楽を聴いていても
ライブがなくなったなんて話は聞いたことがない。
むしろ人間の欲求というのは対象を見つけてから発生するものだから
機会が増えることは勉強をもっとしたいという子を増やすことになると思う。
つづく
「あたたかみ」がなくなるとよく言われたものだ。
けれどレコードだって生の演奏に比べたら
全然あたたかみなんかないじゃないかと思ったものだ。
「ノイズがなくなる」みたいなことも言われた。
あのパチパチいう音がいいとか
1回1回レコード盤に針を落とすのがある意味儀式なんだとか。
いま四半世紀経ってみるとそのときの議論が末梢的なことばかりだったことに気付く。
もっとも重要だったのは「デジタル」ってことだったんだ。
デジタルは複製が容易だってことだ。
今だったらCDのコピーなんてタダみたいなコストでできる。
だから今私は塾をやっていて
授業をデジタル化することに迷いがない。
自分が個別にした授業をタダみたいなコストで複製して
同時に何箇所でも見てもらうことが簡単にでき
好きなとき都合のよい時に見てもらうことができる。
「いや、やっぱり人から人に伝えるものなんだよ」っていう人は
レコードが普及してその後CDが普及して
音楽の演奏のライブの価値が変わったと思っているのだろうか?
人から人に伝えるものであることに変わりはない。
全くその価値を低くする要素なんてない。
デジタルというのはそのものに触れる機会を増やしてくれるんだ。
ライブの価値を下げるものでもないし
ましてやライブを否定するものでもない。
CDなんて持ってなくてダウンロードしてiPodで音楽を聴いていても
ライブがなくなったなんて話は聞いたことがない。
むしろ人間の欲求というのは対象を見つけてから発生するものだから
機会が増えることは勉強をもっとしたいという子を増やすことになると思う。
つづく