近代音楽史と学習塾その6
おそらく塾を大きくするということと職人になるということとは相容れないものなのだろう。
たとえ名人のようにならなくても
すべての生徒に自分が関わるということは不可能じゃないかと考えたこともあった。
今の規模は平気で90%の生徒と関われますが(多少は外れてます)
いまの人数が倍になり3倍になったら
どうなるだろうか?
ぴったりと寄り添うことはできなくなる。
私はジョン・ケージに会ったことがあるのですが
ついでに目の前で「4分33秒」を演奏(?)したのを聞いたのですが
そういうのってレアケースで
けど、まさか個人塾でそんなことにはならないのですが
塾生ひとりひとりに自分の考えを述べたり
自分の声で問題を解説したりってことは
はじめのうちは出来てもだんだん出来なくなってきます。
十分に出来なくなってきます。
私はいつでも教室の間をうろちょろしていますし
質問には余裕で答えるのですが
自分で撮ったDVDを見てもらってたりすると
以前よりもずっと塾のクオリティが上がっているように感じます。
ライブでもOK、DVDでもOK、っていう感じです。
ああ、そういえばジョン・ケージはNYのアスタープレイスの近くの教会で自作の詩を朗読していた。
われわれは沈黙して彼の言葉に耳をすませた。
イーストビレッジでは夜、怪しい男たちが歩道に古着や古レコード
古い革靴や色褪せたペイパーバックや雑多なものを並べては
道行く人に「チェケラウ、チェケラウ」と呼びかけていた。
もちろん英語表記は”Check it out”だと思う。ねえ、佐々木先生?
バケツを逆さにしてスティックでものすごいドラムを聞かせていた黒人の少年がいた。
そのあと映画「グリーン・カード」の冒頭で叩いていた。
ビルの谷間でサクスフォーンを吹く男
バンジョーを弾く男
もちろんギターを弾く男もたくさんいた。
けれど私はタワーレコードへいってCDを買って聞いていたように思う。
ライブもよかった。
けどCDもよかった。
どんなものからも貪欲に吸収しようとおもっていたんじゃないだろうか?
すべてをチャンスととらえられるような塾をつくりたいな。
そういった子をひとりでも多く集めたいな。
とにかく楽譜というものの発明に感謝。
レコードとかCD,DVDというものの発明に感謝。
つづく
たとえ名人のようにならなくても
すべての生徒に自分が関わるということは不可能じゃないかと考えたこともあった。
今の規模は平気で90%の生徒と関われますが(多少は外れてます)
いまの人数が倍になり3倍になったら
どうなるだろうか?
ぴったりと寄り添うことはできなくなる。
私はジョン・ケージに会ったことがあるのですが
ついでに目の前で「4分33秒」を演奏(?)したのを聞いたのですが
そういうのってレアケースで
けど、まさか個人塾でそんなことにはならないのですが
塾生ひとりひとりに自分の考えを述べたり
自分の声で問題を解説したりってことは
はじめのうちは出来てもだんだん出来なくなってきます。
十分に出来なくなってきます。
私はいつでも教室の間をうろちょろしていますし
質問には余裕で答えるのですが
自分で撮ったDVDを見てもらってたりすると
以前よりもずっと塾のクオリティが上がっているように感じます。
ライブでもOK、DVDでもOK、っていう感じです。
ああ、そういえばジョン・ケージはNYのアスタープレイスの近くの教会で自作の詩を朗読していた。
われわれは沈黙して彼の言葉に耳をすませた。
イーストビレッジでは夜、怪しい男たちが歩道に古着や古レコード
古い革靴や色褪せたペイパーバックや雑多なものを並べては
道行く人に「チェケラウ、チェケラウ」と呼びかけていた。
もちろん英語表記は”Check it out”だと思う。ねえ、佐々木先生?
バケツを逆さにしてスティックでものすごいドラムを聞かせていた黒人の少年がいた。
そのあと映画「グリーン・カード」の冒頭で叩いていた。
ビルの谷間でサクスフォーンを吹く男
バンジョーを弾く男
もちろんギターを弾く男もたくさんいた。
けれど私はタワーレコードへいってCDを買って聞いていたように思う。
ライブもよかった。
けどCDもよかった。
どんなものからも貪欲に吸収しようとおもっていたんじゃないだろうか?
すべてをチャンスととらえられるような塾をつくりたいな。
そういった子をひとりでも多く集めたいな。
とにかく楽譜というものの発明に感謝。
レコードとかCD,DVDというものの発明に感謝。
つづく