ショパンの映画~~みかみ先生『ヒキョウーな化学』
ショパンの古い映画を見たことがある。
白黒でやけに古かった。
受験生のころ、夜テレビをつけたらたまたまやっていた。
一度しか見てないがかなりのシーンをはっきりと思い出すことができる。
ワルシャワを離れたショパンはウイーンへ来ていた。
彼が楽器屋だか楽譜屋に行って自分の曲を弾いていた。
自分の楽譜をピアノに置いたまま席をはなれると遠くから自分の曲が聞こえる。
「あれ、僕の曲じゃないか!
しかも僕よりうまく弾いてる!」
そう言いながらピアノに戻ると
一人の若者がコートを着たままピアノを弾いていた。
「君がつくった曲か?
いい曲じゃないか。
私の名前はフランツ、
フランツ・リストだ。」
リストは自己紹介しながらもピアノを弾き続けている。
「僕の名前はショパン。
一緒に弾こう。
僕が左手を弾くよ。」
そう言って二人は出会う。
二人はあいたほうの手で握手する。
ピアノは弾き続けている。
カッコよすぎる。
なんの曲だったかは忘れた。
とても楽しそうに二人は曲を演奏する。
祖国をはなれ、演奏旅行をしていたショパンのもとに
ワルシャワでの革命が失敗したことが伝えられた。
残してきた友人と祖国を思い
ショパンは「革命」のエチュードを弾く。
フランスでの演奏会はどの新聞もショパンを理解しなかった。
唯一、ひとりの美しい紳士だけが絶賛した。
男装の女流作家ジョルジュ・サンドだった。
一方、リストはもう有名なピアニストで
大ホールでのピアノ演奏会で聴衆を魅了していた。
人々が彼の超絶技巧に酔いしれた。
カリスマ予備校講師のマイクを使った講義に
受験生が酔いしれているのと同じだろうか?
(別に受験生は酔いしれてはないか・・・。)
それに対してショパンは貴族のサロンで弾いたり
貴族の弟子をとりピアノを教えて生計をたてた。
どことなく個人塾みたいだ。
ショパンから個人塾を連想するなんて失礼な話だろうか?
けれどショパンと単なるピアノ教師の違いは
素晴らしい曲を数多く残した点だ。
そうか、我々がただの個人塾の先生で終わるのか
それともそれを越えたところの存在になるのか
その違いは授業以外の時間をどう過ごすかにかかっている。
われわれが残せるものといえば
塾のシステムか教材ぐらいのものだ。
今回私の尊敬するみかみ先生が参考書を出版された。
『センター試験でた順ヒキョーな化学』
私は近所のショパン似の店長のいる書店で予約しました。
11月1日発売です。
ですから私もやらねばなりません。
このようなものはやるかやらないかのことなのです。
何でも悲観していてはいけません。
どんなことでもまずは「やる」と決めてからやり始めるものです。
映画の最後はポーランド人の恋人がショパンに会いに行く場面だった。
ショパンはすでに新しい世界に身を置いていて
むかしの恋人のことをもう愛していなかった。
そう、知性的なジョルジュ・サンドに出会い
非常に惹かれていた。
彼は言葉もなくある有名な曲を弾いた。
「別れの曲」だ。
むかしの恋人はその意味をすぐに知り
泣きながら部屋を飛び出した。
あの美しい映画をこれからまた見ることはあるんだろうか?
あの時、真剣に見て、目に焼き付けておいてよかった。
自分のブログでも人のブログでも
そうたびたび読み返すものじゃない。
ですから今日もブログを真剣に書くし
人のブログも真剣に読みます。
それではまた。
白黒でやけに古かった。
受験生のころ、夜テレビをつけたらたまたまやっていた。
一度しか見てないがかなりのシーンをはっきりと思い出すことができる。
ワルシャワを離れたショパンはウイーンへ来ていた。
彼が楽器屋だか楽譜屋に行って自分の曲を弾いていた。
自分の楽譜をピアノに置いたまま席をはなれると遠くから自分の曲が聞こえる。
「あれ、僕の曲じゃないか!
しかも僕よりうまく弾いてる!」
そう言いながらピアノに戻ると
一人の若者がコートを着たままピアノを弾いていた。
「君がつくった曲か?
いい曲じゃないか。
私の名前はフランツ、
フランツ・リストだ。」
リストは自己紹介しながらもピアノを弾き続けている。
「僕の名前はショパン。
一緒に弾こう。
僕が左手を弾くよ。」
そう言って二人は出会う。
二人はあいたほうの手で握手する。
ピアノは弾き続けている。
カッコよすぎる。
なんの曲だったかは忘れた。
とても楽しそうに二人は曲を演奏する。
祖国をはなれ、演奏旅行をしていたショパンのもとに
ワルシャワでの革命が失敗したことが伝えられた。
残してきた友人と祖国を思い
ショパンは「革命」のエチュードを弾く。
フランスでの演奏会はどの新聞もショパンを理解しなかった。
唯一、ひとりの美しい紳士だけが絶賛した。
男装の女流作家ジョルジュ・サンドだった。
一方、リストはもう有名なピアニストで
大ホールでのピアノ演奏会で聴衆を魅了していた。
人々が彼の超絶技巧に酔いしれた。
カリスマ予備校講師のマイクを使った講義に
受験生が酔いしれているのと同じだろうか?
(別に受験生は酔いしれてはないか・・・。)
それに対してショパンは貴族のサロンで弾いたり
貴族の弟子をとりピアノを教えて生計をたてた。
どことなく個人塾みたいだ。
ショパンから個人塾を連想するなんて失礼な話だろうか?
けれどショパンと単なるピアノ教師の違いは
素晴らしい曲を数多く残した点だ。
そうか、我々がただの個人塾の先生で終わるのか
それともそれを越えたところの存在になるのか
その違いは授業以外の時間をどう過ごすかにかかっている。
われわれが残せるものといえば
塾のシステムか教材ぐらいのものだ。
今回私の尊敬するみかみ先生が参考書を出版された。
『センター試験でた順ヒキョーな化学』
私は近所のショパン似の店長のいる書店で予約しました。
11月1日発売です。
ですから私もやらねばなりません。
このようなものはやるかやらないかのことなのです。
何でも悲観していてはいけません。
どんなことでもまずは「やる」と決めてからやり始めるものです。
映画の最後はポーランド人の恋人がショパンに会いに行く場面だった。
ショパンはすでに新しい世界に身を置いていて
むかしの恋人のことをもう愛していなかった。
そう、知性的なジョルジュ・サンドに出会い
非常に惹かれていた。
彼は言葉もなくある有名な曲を弾いた。
「別れの曲」だ。
むかしの恋人はその意味をすぐに知り
泣きながら部屋を飛び出した。
あの美しい映画をこれからまた見ることはあるんだろうか?
あの時、真剣に見て、目に焼き付けておいてよかった。
自分のブログでも人のブログでも
そうたびたび読み返すものじゃない。
ですから今日もブログを真剣に書くし
人のブログも真剣に読みます。
それではまた。